桂蝶六さんが三代目花團治を襲名したという。
十年程前になるが、ふるきゃらが大阪で公演したとき、ミュージカルなのに笑いを取っていると評判になり、三枝 (現文枝) さんや春團治さんなど大阪の笑いの達人たちが観に来てくれた。その頃、若き蝶六さんもよく顔を出していた。
気がついて見れば、蝶六さんはふるきゃらの旅公演に付いて来て、キャストの一員として舞台にも乗って芝居をしていた。
いくら芸熱心だからと言って、落語家が急にミュージカル俳優に変身できる訳もなく、情け容赦も無い私の演出にジタバタしていた。だが蝶六さんは皆んなに好かれた。それは舞台に立つ人間の最も大切な要素かも知れない。
蝶六さんは狂言の修業もしたという。ふるきゃらも一時(いっとき) 狂言を学んだことがあった。笑いの舞台を求めるものは、皆んな狂言にすがろうとする時期があるようだ。笑いは簡単に生み出せないから。
その蝶六さんが花團治となった。花團治という名は耳馴れないが、蝶六さんが花團治という名を売り出してくれることだろう。ふるきゃらの劇団員は、花團治となった蝶六さんの芸をみんな見たいと思っている。大阪に行くことのたのしみが増えた。
ふるきゃら 脚本・演出家 石 塚 克 彦